久しぶりに、にっきの更新画面を開いている。開いたところで、何を書きたいのかというと、特別に書きたいことがあるわけでも、募る思いがたまっているわけでもないのだけれど。それでも、開いてみたので何かを書いてから閉じようと思う。でも、いったい何が書きたいんだかわかんないけれど。ま、いいか。思い浮かんだことを書けばいいよね。「にっきのようなもの」なのだから。
 
思えば、Web上でにっきを書き始めたのって、1999年の10月で、2018年の9月の今から19年も前の話だ。19年?!恐ろしい。そんなに長くネットに依存してるんだねぇ。すっかりネットとは切っても切れない関係が、不思議なくらいずっと続いている。ネットに片足突っ込んだのは、KinKiにはまった1997年の冬からだから、そこから数えたら20年も軽く超えてしまっているのね。しかし、歳だけは重ねているけれど、自分自身の成長を実感できてないし、さほど変わってないんだよな、感覚的には。もちろん心情や好みの変化はあったし、外見も体力も含めて歳は取っちゃってはいるんだけどさ。変わってないというのには、だいぶ図々しいのかもしれないね。
 
さてと困った。さっきベランダに出てぼぉっと夜風に吹かれた時に、なんか書きたいっていう気持ちが沸いてきたので、部屋に戻ってPCを立ち上げてはみたものの、なんか書きたいの「なんか」が固まってないから、結局書き進められない。ちゃんとテーマを決めて、それに関して書くって気持ちになって詰めないと、うまく言葉も出てこないよねぇ。そりゃそうだよな。なんで昔は毎日ちゃんと書けてたんだろう?毎日だよ?すげーな、俺。
 
今もTwitterで、ほぼ毎日何かしらをWebに垂れ流してはいるのだけれど、Twitterってさ、なんかあんまり深くは考えないで、その時思ったこととか、観たものとか感じたことを、ただ垂れ流しているだけで、そのこと自体に大きな意味を持たせたり、話の流れがあったり、オチがあったりしてるわけではないぢゃない?それに慣れてしまっているから、ちゃんと何かを書いてやろうと身構えると、なんにも出てこないんだねぇ。浅いなぁ。ほんと、あたし。浅い。でもその浅さも心地よいのだろうねぇ。気が付けば何かをボヤいてる。その浅い毎日もチリも積もればちゃんと記録となって残るわけで。あたしの毎日がちょっとずつだけど残ってる。
 
ここで、ほんとに何が書きたいんだか見えなくなってきたので、過去のTwitterを検索してみる(これができるからTwilogって便利だよね)。うんと、これかな?

、、、で、これにレスくださってる方に、こう答えて、締めがこれ(笑)

ま、同じ人間なので、考えていることなんて結局は同じだから、堂々巡りなのだけれど、この時に書いたものは割と好き。ツイで書いてる「自分が書いたものを自分で読み返したいから」ってのとは矛盾してるけど(笑)。やはり「自分から発するものが、それだけで終わらないで、誰かに届く。」これなんだろうと思う。、、、って、そのためには届くようなものをちゃんと書けよって話だけれど。
 
少しずつ壁打ちして感覚を戻しつつ、自分の言葉でちゃんと思ってることを残すってことをしていきたいなぁ、と新たに思ったっていうことで、本日は締めてしまおう。ってか、格好つけても、書けることなんて好きなものとか好きなオトコとか、そんなことばかりだろうけれど。結局は全部浅いんだけどね。ま。それがあたしだから仕方ないか(笑)。もしかしたら、しばらく自分語りが続くかもしれません。
 
あ。むかーし募ったまま放置している質問とかに答えていくってのもありかもね。文章を書く練習には丁度いいかもな。あと、観劇したものとか読んだ本とか観た映画とかの記録はちゃんと残していかなきゃな。感想までは書けなくても、記録してくのは大事な気がする。ゆるゆるそのあたりは書き足していきますかね。さてと、有言不実行なヤツがどこまでやれるものなのか、自分でもちょっと期待しておこう。さて、寝る。おやすみなさい。